船・船長紹介

第三ひので丸

 



 この度、第三ひので丸は、某渡船業を営んでいる方から購入しました。

 その船長さんは、大変その船を大切にしていて丁寧な手入れのお陰で、この船は今も丈夫で健在です。
 船に対する沢山のアドバイス等も頂き、大変お世話になって感謝しております。
 僕もその船頭さんを見習い出来る限り、この船と共に長く使用することを望んでいます。

 しかし、将来的に大きな夢として第四ひので丸(新造船)が、できることに夢を見ています。
 まだまだわからない事ばかりですが、これからも頑張っていきますので宜しくお願いします。



第二ひので丸

 

 

 

 平成10年~平成20年までひので渡船三代目(僕の父)が操舵をして、第一ひので丸(僕の祖父)と、二隻体制で活躍しておりました。

 平成20年頃は、平成15年のイラク戦争など中東の政情はどうも安定せず、その影響でガソリンの需要と供給に差が出ていることが燃料高騰の大きな理由となり、ひので渡船三代目も景気の低迷と燃料高騰の煽りを受け、やむなく父がひので渡船三代目を引退をした。
(現在父は,ひので渡船四代目のマネジメントを担当して頂いています!)


 その後、第一ひので丸を、廃船にして祖父が第二ひので丸を承継して平成20年~平成29年(昨年)まで活躍していました。

 第二ひので丸は、新船当時からエンジンの調子が悪く異常な程に黒煙を吐いていましたが、その原因は明らかにならず、故障箇所を直してもまた次の箇所が故障という現象の繰り返しだった。


 近年では、宇和島市にある某船の鉄工所で、エンジンをオーバーホールをしたのにも関わらず、また直ぐに故障を繰り返していました。

 船の老朽化もあってのことか、次から次へと破損と故障の繰り返しが続きましたが、最終的に鉄工所も「もう直せない」と、断言された次第です。


 よって、平成29年(昨年8月頃)に、エンジントラブル等の故障と破損が続き修理しても直らない結果、第二ひので丸は、不採算を招いたことが理由でやむなく、休船という選択を選ばざるを得なくなりました。


 また、、最近になってお客様から「この船どうしたの?」、「何故ここに止めているの?」などの心配して頂く声も聞くようになり、さらには、他の鉄工所関係者の方から「この船のエンジンが潰れるには、まだ早いぞ!良かったらうちで直させてほしい。」などの嬉しい声も頂きました。

 しかし、残念なことに今はまだ資力もありません。
 けれど、これからは僕がこの渡船業を頑張り、いつかきっと修復して第二ひので丸を復活させたいと考えています。
 そして将来、父と二人で二隻体制の渡船業を営む事が、今の最大の目標でもあります!

 

祝 第三ひので丸と仲間たち


第三ひので丸の誕生から、今日まで支えてくれた皆さんをこんな形でまとめてみました。